2019年シーズンに向けてのプロ野球ドラフト会議では、夏の甲子園を沸かせた高校球児たちが大きな話題になりました。
一方、毎年シーズンが終わると解雇された選手や挑戦を続ける選手たちのことがテレビで特集が組まれますよね。
今年も11月18日(日)19:00~“消えた天才”の人生を追跡するTBSのドキュメントバラエティー「消えた天才」で丹波慎也投手が紹介されます。
ここでは、丹波慎也(横浜高校)投手の死因や成績・才能、兄はプロ入りでどの球団へ行ったかなどをお伝えします。
丹波慎也(横浜高校)投手の死因は?
丹波慎也さんが所属していた横浜高校は松坂大輔さんや筒香嘉智さんなど、有名な選手が数多く在籍していた強豪校。
松坂大輔さんの1つ先輩にあたる俳優・歌手の上地雄輔さんも横浜高校野球部出身、キャッチャーだったことも有名ですよね。
丹波慎也さんはさらに1つ上の学年で、上地雄輔さんが1年生の時にバッテリーを組んで一番の天才だったと語るほど。
しかし残念ながら突然17歳という若さでこの世を去ってしまい、新体制として再出発を図る時期に悲しみに包まれたのです。
1995年8月17日、死因は心臓肥大による急性心不全(心筋梗塞)で寝たまま救急搬送されそのままだったようです。
当時のチームメイトや監督も信じられない様子で皆驚きを隠せず、泣き崩れた選手も多かったとのこと。
そりゃそうですよね、これから軸として活躍が期待され、人柄も含め愛されていた仲間が急にいなくなってしまうなんていくら何でも辛すぎますよね。
丹波慎也(横浜高校)投手の成績・才能!
松阪大輔さんは夏の甲子園で春夏連覇、しかも決勝ではノーヒットノーランの大偉業を達成しました。
ただ、多くの関係者が語るのは、丹波慎也さんがそのまま活躍できていたら先に春夏連覇をしていたかもしれないと。
どれだけ凄かったのか、短い期間だけの活躍なので記録はあまりありませんが、成績や才能に関して見いきたいと思います。
甲子園などの大舞台を経験していませんが、新チームになってからの練習試合4試合でノーヒットノーランを2回達成。
また、打っては3本塁打を記録する活躍で、高校野球のエースに見受けられる投打に秀でた選手だったのでしょう。
剛速球で打者と勝負するというよりは、キレやコントロールで勝負するタイプだったとされています。
ちなみに亡くなった翌日から秋季大会が始まり見事選抜大会に出場、さらに同じチームで夏の甲子園にも出場を果たしています。
甲子園は3回戦敗退でしたが、もしも丹波慎也さんが活躍できていたらどんな展開になっていたのか今でも気になる方は多いことでしょう。
丹波慎也(横浜高校)投手の兄はプロ入りでどの球団へ?
丹波慎也さんには4歳年上の丹波幹雄さんという兄がいて、同じく横浜高校で投手をしていました。
1年秋からベンチ入りする程の期待の選手でしたが、肘を怪我して2年生の春に野球を辞めてしまっています。
しかし、1996年に手術をしてクラブチームで野球を再開、すると1998年に松阪大輔さんが目玉となったドラフト会議でプロへの道が開かれたのでした。
なんとヤクルトスワローズから8位指名を受けプロとなり、弟の代わりに夢を叶える形に。
ただ、肘の怪我の影響もあって1軍での出場はなく2002年に戦力外通告を受け退団しています。
弟が志半ばでいなくなってしまい代わりに野球で夢を叶える・・・まさにリアルの世界でタッチが再現された瞬間でした。
まとめとして
横浜高校で期待されていた投手の丹波慎也さんは、松坂大輔さんよりも凄かったと言われることもある実力を持っていた選手でした。
ちょうど間に挟まれる世代の上地雄輔さんは、2人の大投手のボールを受けることができて幸せだったと語っています。
もし、存命だった場合どれだけの活躍をしていたのか気になりますし、消えた天才の放送は要チェックですよね。
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